ヒプノ赤ちゃん出産体験談 小泉梓
私は2人目の赤ちゃんを、ヒプノ赤ちゃんで出産しました。子供の名前は光凜(ひかり)と言います。じっと見つめるまっすぐな眼差しと、目が合うとニコッと笑う笑顔がとても可愛い女の子です。
結論からお伝えすれば、私の出産は帝王切開での出産でした。
「帝王切開だと、ヒプノ赤ちゃんの意味ないんじゃないの?」
そんな風に感じられる方もいらっしゃるかもしれません。実は私自身も帝王切開での出産が決まった直後はそう思っていました。でも、後から振り返れば振り返るほど、「最初から、光凜は帝王切開で産まれることを知っていたんだ」と感じることばかりなのです。
そこでこの体験談では、なかなか珍しいヒプノ赤ちゃんでの帝王切開のお話をお伝えしていこうかと思います。
実は私は1人目の子供も、帝王切開で出産しています。帝王切開の手術自体は滞りなく済んだものの、麻酔が切れた直後から傷の痛みがひどく、数週間は鎮痛剤も手放せず普通の生活がままならない状態でした。
1人目の出産でそんな思いをしていた上に、「ヒプノ赤ちゃん」の存在も知っていたので、私は2人目の子どもをできれば普通分娩で出産してみたいと、なんとなく考えていました。
私はヒプノ赤ちゃんプラクティショナー講座を受講したのですが、実は申し込んだ当時は妊娠している予定は全くありませんでした。ところが不思議なことに、講座を申し込んですぐのタイミングで妊娠が発覚。期せずして自ら妊婦という立場で講座を受講することになったのです。
「これはヒプノ赤ちゃんで出産するしかない!」
そう確信した私は、一度帝王切開をしていても経膣分娩で出産ができるTOLACに対応している病院を探したのです。そうして見つけた病院は自然なお産を推進している病院で、ヒプノ赤ちゃんでの出産も全く躊躇なく受け入れてくれました。
私は妊娠5ヶ月の頃に講座を受講したのですが、そこからはほとんど毎日寝る前に、お腹の赤ちゃんに会いに行きました。赤ちゃんとコミュニケーションが取れるなんて1人目の出産の時には全く想像もしませんでしたが、ヒプノ赤ちゃんを学んだことで、赤ちゃんがコミュニケーションを一生懸命取ってくれていることがよくわかりました。
ちなみに名前に関しても出産直前までなかなか決まらず、「何がいい?」と問いかけていたのですが、赤ちゃんからはなかなか答えがなかったのです。するとある日、車に乗っている時になんとなく頭の中に「光凜」という名前が浮かびました。主人に「光凜はどう?」と聞いてみたら、主人もしっくりきた様子。
さらにその時、ふと窓の外を見ると「ヒカリ株式会社」の看板が目に入り、「この子の名前は光凜だ!」と確信しました。すぐにお腹の赤ちゃんにもヒプノ赤ちゃんの手法を使って聞いてみると「そうだよ~笑」と、明るいお返事が返ってきました。こんな風に日々、いろいろなことを私に伝えてくれた妊娠期間でした。
出産予定日は12月12日。私の場合はTOLACでの出産だったため、12月26日までに自然にお産が進まなければ、帝王切開で出産することが決まっていました。
予定日の頃になると出産の前触れのようなものを感じることが増えてきたのですが、私のお産はなぜかそこからなかなか進まなかったのです。
「赤ちゃんは自分が産まれてくる日を決めている」と教わってはいたものの、私は焦り始めました。講座では、なかなかお産が進まない時の対処法も教わっていたので、色々試した結果、12月23日の夜に周期的な波動運動(いわゆる本陣痛)が始まったのです。
しかし、そこからなかなかお産が進まず、波動運動が強くなると赤ちゃんの心拍が弱まるようになってしまいました。そこで詳しく検査をしてみたとらころ、赤ちゃんの首に臍の緒が巻き付いていて、下がろうとすると首がしまっていたことが初めてわかりました。
さらには私自身がTOLACでの出産だったため飲まず食わずで1日以上過ごしていたことから、12月25日に帝王切開で出産することになったのです。
帝王切開で出産するかどうかを決める時も、私はお腹の中にいる赤ちゃんに相談をしました。そして手術の直前も最中も、ずっと話をしていました。思いがけず帝王切開になったことがショックで、私は少し自分を責めて泣いてしまっていたのです。
「ママ、大丈夫だよ。もうすぐだよ。ママが悪いんじゃないよ。これでいいんだよ。」
お腹の赤ちゃんは私をそんな風に励まし、支えてくれていたので、私は手術が始まる頃には、その状況を落ち着いて受け入れることができていました。そうこうしているうちに手術は進み、無事大きな産声を上げて、光凜は産まれてきてくれたのです。なんとその重さは3710g!(決して妊娠中の体重管理を怠っていたわけではありません笑)
その大きさのことや、私が飲まず食わずでお産に臨まなければいけなかったことを考えると、帝王切開のお産できっとよかったのだと今では思います。
それに光凜はどうやら私にいろいろな「クリスマスプレゼント」を渡すために、この病院で、クリスマスの日を選んで帝王切開で産まれてきたようなのです。
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1つ目は産後の豊かな時間です。1人目の子どもを出産した病院は、帝王切開の手術後少し赤ちゃんに会えただけで、その後は全く触れられず、術後2日目にやっと会うことができました。さらにはまるで機械のように3時間ごとに授乳をし、たとえ赤ちゃんが寝ていても無理矢理起こして授乳をするよう指導されていたのです。
一方で、光凜を出産した病院は母子が共に過ごすことを大切にしていたので、手術が終わってすぐに授乳もさせてもらうことができ、主人も一緒にしばらく3人で一緒に過ごすこともできたのです。入院中の授乳も赤ちゃんのペースに合わせて行い、寝ているのを起こしてまで授乳するようなことは全くありませんでした。
さらにはなかなか空きが出ないはずの個室も偶然使うことができ、時には赤ちゃんの横で添い寝したりしながら、ゆっくりと入院期間を過ごすことができました。
当時の私は2歳の男の子の子育てでなかなかゆっくりご飯を食べることも、広々と眠ることもできずにいたので、久しぶりにゆったりとした時間を過ごさせてもらいました。
それに退院日は大晦日。普段は子育ての傍ら大掃除や年末年始の準備をしていたのですが、入院していたらそんなことはできません。全て潔く手放して、人に任せることは任せてみたのです。
きっと光凜は、私が頑張りすぎてしまうことを知っていて、色々と楽に過ごせるようにしてくれたのだと思います。
プレゼントの2つ目は産後の元気な体でした。前述した通り1人目の子どもの手術の後は、まさに満身創痍で動くのもままならない状態でしたが、光凜の出産後は、翌日にはスタスタと歩くことができたのです。鎮痛剤も3日程度で要らない程度の痛みになり、病院のスタッフの方もその回復に驚くほどでした。
おそらくこの痛みの少なさは、ヒプノ赤ちゃんを学んでいたことで手術への不安や恐怖が減っていたからではないかなと今では思います。普通分娩と同様、帝王切開であってもヒプノ赤ちゃんの手法を活用して、リラックスすることに本当に意味があったと感じています。
3つ目は少し現実的な話になりますが、お金でした。通常、帝王切開は普通分娩より高額なようなのですが、なぜか光凜を出産した病院では普通分娩よりもかなり出産費用が安く済んだのです。さらには帝王切開だったことで保険金も降り、ずっと学びたかったことのためにお金を使えることになったのです。
そのことに気づいた時、「ママにお勉強のお金をプレゼントしたかったから、帝王切開でクリスマスに産まれたの?」と聞いてみると、まだ生後1ヶ月にも満たない光凜が、ニヤリと笑って返事をしてくれました。
私自身、せっかくヒプノ赤ちゃんを学んだのだからつるんと産んでみたかった気持ちがないといえば嘘になります。でも、たとえ帝王切開であってもヒプノ赤ちゃんを学んでいたからこそ、いろいろな奇跡を感じられた出産でした。
ヒプノ赤ちゃんで産まれた光凜は、日々本当によく笑い、よく食べ、夜泣きも一度もせずよく寝てくれる子に今でも育っています。母である私を信頼し、愛し、時にはまるで母のように支えてくれる瞬間すらあるのです。
ヒプノ赤ちゃんで学んだ手法は、産まれた後もずっと使うことができる手法で、妊娠中も産まれた後も子どもとの関係を豊かにしてくれるものだと日々感じております。この豊かな出産を、いろいろな方に体験していただけたらいいなと、思っています。
私の体験をこのような形でシェアさせていただけることに、感謝いたします。
担当プラクティショナー 松村洋子
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